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学校の季節行事に節分を取り入れよう

学校の季節行事に節分を取り入れよう

学校行事にはさまざまなものがあり
ますが,教育的な意義は漠然とした
ものが多いのではないでしょうか。

私が教員だったとき,職員会議で来
るべき行事について審議(というよ
り確認)しますが,最初に確認する
「目的」については,提案者が「お
読みください。」でスルーするのが
普通でした。

ということは,多忙な教員のとって
は行事の教育的意義などよりも,
どう効率的にこなすかということを
考えることで精いっぱいというのが
現状なのです。

しかし,私はクリスマスやハロウィ
ーンなど西洋の行事の薄っぺらなま
ねごとよりも,節分の豆まきのほう
が余程意義深い行事かと今でも思っ
ています。

節分行事まとめ

節分とは,「季節を分ける」の意味
で,各季節の始まりの日(立春・立
夏・立秋・立冬)の前日のことを言
います。

江戸時代以降は特に立春(毎年2月4
日ごろ)の前日を指す場合が通常の
意味になりました。

この日に豆をまく意味は,「魔を滅
」ことから来ていると言われてい
ます。「魔」は仏教で,仏道修行(
すなわち,真の幸福境涯に達するた
めの修行)を妨害する存在(邪魔)
ですから,「鬼は外!」とやっつけ
る対象としての鬼と魔は同じ意味を
持つと言えます。

豆まきの心理学的な意義

心理学で「外在化」という言葉があ
ります。

これは,問題の原因を自分の内側に
求めるのではなく,外に出して解決
するという治療法のことを言います。

誤解を恐れずに言えば,「自分のせ
いにするのではなく,人のせいにす
る」ということです。

思い当たることはありませんか?
ある意味,人のせいにできる人は自
分の中にため込まないだけ強いので
す。

外在化の悪い例は,いじめ加害者で
す。親や教師からのストレスやプレ
ッシャーをを変わり者やなどの弱者
に向けることで自分の安定を図って
いるからです。

外在化の良い例は多くあります。
たとえば小さい子が体のどこかを痛
めた時に,「痛いの痛いの飛んでけ
!」というと,痛みを忘れてしまい
ます。痛むのは自分が悪いのではな
く「痛みを与える何物か」というこ
とで外在化しているのです。

また,不登校の子が不登校の原因を
自分や親ではなく,何か他の悪いモ
ノ(例えば不登校虫)とみなして,
親子で夜な夜なおまじないと唱えた
らその後改善したという報告もあり
ます。

皮肉なことですが,原因を自分に求
めないという考え方は,実は「業
」として原因を自分に求めて修行す
る仏教の主たる思想とは逆の考え方
です。

まあ,自らの宿業を転換するために
内なる魔を滅する戦いと思えばいい
のかもしれませんが・・。

ちなみに,私は「外在化」について
こちらで学びました。
https://brieftherapy-japan.com/about/brieftherapy/

外在化行事の教育的意義

少々理屈っぽくなりましたが,
豆まきは,外在化によって自己の問
題を解決・昇華する象徴的な作業と
まとめることができるのではないで
しょうか。

今の子(特に小学生)は,ほめられ
慣れて自分の悪いところを自覚でき
ないまま生長してしまう子もいます

自分が克服したい問題点を鬼になぞ
らえるという作業は,子どもに自分
の問題点に気づかせる良い機会とな
ります。(もちろん,逆に自分の良
いところに気づかせる作業も必要で
すが。)

そして肝心なことは,外在化したと
いうことは,その自分の悪いところ
は「自分のせいではない」と自覚さ
せる作業でもあるのです。

「気づいた」だけでも外在化と言え
ますが,問題点=「鬼」に豆をぶつ
け外に出してしまうという経験その
ものが外在化と言えるでしょう。

学校での豆まき行事

各自が克服したい「鬼」のお面を
作って豆をぶつけ合います。もちろ
ん終わった後,「鬼がどうなったか
」など振り返ることが必要です。

先生が鬼役になって日ごろの鬱憤
を払わせます。もちろん,先生自身
が「怒り鬼」などと名付けたお面を
かぶります。

年男(女)の6年生が豆まき役に
なって卒業生としての自覚を高める
ようにします。裃を着て各教室を
回って豆をまきます。

 

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