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子育て 中学生の息子の場合

私は、中学時代に母を投げ飛ばしてしまったことがあります。自分でも恥ずかしいくらいの反抗期でしたが、この私の経験が少しでもあなたの子育てのお役に立てばと思います。

子育て母VS反抗期中学生息子

私の反抗期は中学入学してからすぐ始まりました。男ながら、母の洗濯物と一緒に洗ってほしくないなどと思っていたものです。よくドラマや漫画なんかで娘役の人がお父さんに投げかける名台詞の男バージョンでしょうか。

そんなことを思って一つ屋根の下で暮らしているわけですから当然、超反抗期の私は母を睨みつけながら胸を張って邪魔する奴は投げ飛ばすぞと言わんばかりの態度でした。そんな私をいつも叱ってくれていた母でしたが、ある時最大の事件が起きます。

私がいつもの睨みを利かせていたらついに母の怒りがマックスになったのか、私に掴みかかってきたのです!サッカー部で小学時代には柔道をやっていた私は反射的に大外刈りで母を投げ飛ばす大馬鹿息子になってしまいました。

暴力的なものはこれが最初で最後でしたが、その後も睨み合いは2年程続きました。

反抗期息子の心変わり

超反抗期でガタイのよかった私はいつしかボンクラゴリラと呼ばれるようになっていました。なぜかこの呼び方に腹が立つことはなかったのですが…。

いくら超反抗期だとは言え、相手は母親です。さすがに母の悩む姿を見て心が痛むこともありました。しかし、反抗期のボンクラゴリラには謝ることはおろか、母と普通に会話することもできなかったのです。気まずい相手と気まずいからという理由で、距離を置いていると、ますます気まずくなったということがあると思います。

私ボンクラゴリラの最大の助けは母の態度でした。母は3年間も私の反抗期に毎日付き合ってくれました。どれだけ私が心無い言葉を浴びせても、大外刈りで投げ飛ばしても、作ってくれたご飯を食べなくても、アリを見るような目で母を見ても、母はいつも叱ってくれました。

私がボンクラゴリラから爽やかゴリラに変われたのは母の態度に他なりません。もし、母が私を無視していたら母との関係は気まずくなる一方だったと思います。母の粘り勝ちですね。参りました。母の愛情に気付くことができたボンクラゴリラの奇跡の大変身は愛に負けたのです。

超反抗期時代を振り返って

反抗期は子育ての成功と言われることもあるくらい、重要なものなのかもしれません。反抗期がなかったからと言ってそれが悪いというわけではありませんが、反抗期を通じて子供は多くの人の支えに気がつくのかもしれれません。

少なくとも私はそうでした。誰にも感謝せず、自分の力だけで生きていると思っていたボンクラゴリラでした。次第に自分の過ちに気がつき、子供は感謝することを覚えていくのかもしれません。

そうして身をもって得たことは一生ものだと思います。今では、母の愛、家族の支え、先生のお叱り、友達との交流、など私に関わったすべての人への感謝の気持ちでいっぱいです。爽やかゴリラです。

まとめ 母の思い

母が私の反抗期について言ったことを書いてまとめとしたいと思います。

「あんたに私の愛を試されているような気がしたんだよね。あんたが悪さするたびに、どうだ!これでも俺のこと愛せるか!と言っているようだった。そりゃー腹も立つけど、私の愛はボンクラゴリラなんかに負けないよ。」

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