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「ごめんなさい」は躾ではあるが教育的ではない

「ごめんなさい」に違和感を感じる人は多いのではないでしょうか。私は、小学校教師をしていた時代、常にそれを感じていました。

とにかく、多くの大人(先生)は子どもに「ごめんなさい」を言わせたがります。それを言わせることは、本当に「教育」的と言えるのでしょうか。

「教育」という言葉には、2つの意味があります。「しつける」という意味と育てるという意味です。「教育的」という言葉を使う場合、「育てる」ことになっているかという意味合いで使います。広い意味で躾のない「育て」はありませんから、そこが難しいところでもあります。

ごめんなさいは挨拶のひとつ

「ごめんなさい」は、返事の「はい」、あった時の「おはよう」、別れの「さようなら」、感謝の「ありがとう」などと同様に、理屈抜きに子どもに教えるべき挨拶の言葉です。

挨拶は、語源の意味からしても人間関係を良いものにするために欠かせない言葉なので、大人は子どものうちからしつけようとします。

「ごめんなさい」に違和感を感じるわけ

では、なぜ「ごめんなさい」に違和感を感じるのでしょう。それは、この言葉は特に社交辞令の意味合いが濃いからと思います。すなわち、漢字で書けば「御免」。「免」には、「まぬがれる」、「見逃す」という意味があり、どうしても「その場の状況から逃れる」の感じが強いのです。

実際、「ごめんなさいは?」と子どもに言う時は叱る時であり、子どもはその言葉の背後に「それを言わないと、この状況から逃さないぞ。」というメッセージを読み取り、その言葉を言えば逃れることができるんだと学ぶのです。

「ごめんなさい」が言えない子どもはなぜ言えないの?

何事も子どもができないことを子どものせいにして切れる大人がいますが、これは恥ずかしいことです。子どもができるように、分かるように教えるのは大人だからです。

「ごめなさいが言えない子」ではなく、「ごめんなさいが言えるように教えられてない子」なのです。すなわち、どのようなときに「ごめんなさい」と言ったらよいか教わっていないのです。せいぜい、「叱られた時は言う」としか学んでいないから言えないのです。

「ごめんなさい」を自分から進んで言うのは難しい

「ごめんなさい」を自分から進んで言うのは難しいのです。それを大人は教えてやる責任があります。頭ごなしに「ごめんなさいと言いなさい」ではなく、相手(親や友達)を傷つけたり困らせたりした状況を思い出させ(「確認させ)て、その相手の気持ちを思いやらせた上で、「こういうとき何て言うの?」と問い、自分から言わせるようにしつけましょう。

「ごめんなさい」が口癖の人は言い訳が先に立つ人生

ところで、「ごめんなさい」が言えない大人がいたら困りものですが、口癖になっているのも心配です。これが口癖のように頻発するのは、自分の行動に自信がないのでしょうが、卑屈でもあり、感じの良いものではありません。

武田先生は、この現象を「ごめんなさい病」と名付けています。そして、人間としての成長の妨げになるので「ごめんなさい」言わないようにするという信念が大切だと教えてくれてます。

参考

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