1年生までに算数の基礎力を確実に身につける方法
それは,子どものそばにいる大人の力によって可能です。
親でも先生でもいいのですが,これが最近は難しくなっているようです。
中学生になって,塾へ行って初めて小学校時代の基礎ができてないことが発見されるなどと言うことがよくあります。
先生も親も昔のような細かな世話ができなくなっているのでしょうか。できているとすれば,経済的(=時間的)に余裕のある場合に限られてきたのでしょうか。
しかし,子どもにとってはそうした大人からのケアが減少していることは遊びの時間と場所が減少しているのと同じことで,その穴埋めは大人が意識的に働きかけてやることで解決できることなのです。
お金か時間さえ生み出せば,それは可能なのです。
すなわち,お金をかけて塾など他人に任せるか,時間を生み出して親か学校の先生がやるかどちらかです。
本稿では,後者の場合についての提案です。
楽しく算数の基礎を学ぶ
特に子どもは楽しくないことには興味を持ちませんから,無理やり「教えよう」というスタンスで子どもに接することは禁物です。
楽しくなれば,放っておいても自分で勉強するようになります。
これは,中学生になっても高校生になっても言えることで,「授業が面白いかどうか」「先生が好きかどうか」などという理由で成績が簡単に上下するものなの
です。
ですから,算数の基礎が身につくまでは,絶対に無理強いはしてはなりません。
子どもによって個性や発達段階は違っていきますので,算数の勉強に楽しく入っていけるかどうかは見極めが重要になります。
小学校のうちに数検1級を取ってしまったという子がいますが,その子は2歳のころにはすでに数に興味があったようですね。
(話は,脱線しますが,未分化な段階では数も言葉も同じです。その子の場合は,医者の親が子供が生まれるとすぐに大人の言葉で大人として話しかけ始めたということを言っていました。即ち,論理的な思考が自然に身についていったと思われます。)
これは,ひとつの例で,すべての子が同じではないわけですから,自分の子に合った算数への導入が工夫されるべきでしょう。
算数以前に「ことば」の価値を知る
学童保育で小学校1年生が算数の宿題に取り組んでいるところを覗いてみると,足し算や引き算の計算式を解いているのをよく見かけます。
中には,簡単すぎてすぐに終わってしまう子もいれば,戸惑って大人の助けを求める子もいます。
昔,知恵遅れの子の担任を初めてしたとき,未経験だった私は「1+1」の答えが出せない子に思わず「なんでこんな問題ができないの!」と思わず声を荒げたという,教師として恥ずかしい経験を今でも鮮明に覚えています。
この段階のこどもには,まず日常の具体物での経験を経る必要があるのです。
算数以前のことばでのコミュニケーションの問題です。
たとえば,「ひとつ」と「ふたつ」の違い,「あわせる」「へる」の意味・・こうした言葉を含め,日常で言葉を使って他者(おとな)とやり取りする価値ある経験が必要と思うのです。
数を唱える喜びを知る
わたしは,今でも小学校入学前に40以上まで数えることができた時の喜びを覚えています。
それは,隣の家のお風呂に入りながら1から数え始めて40を超えることができた時でした。
わたし自身は,少年時代は算数・数学が苦手で嫌いな記憶の方が勝るのですが,その時の記憶が鮮明なのは,余程うれしかったのでしょう。
その後,何かができるようになった喜びなどというものは,小学校中学年の時に初めて口笛が吹けるようになったときまでありません。
私は,数を数える喜びを九九を唱える喜びまで持続させてあげるべきだと思います。
具体的には次のとおりです。
1.1~10まで
2.1~100まで
ここまでで,「次の数」が「+1」という抽象的な符号に結びついていきます。また,10進法の感覚がつかめます。
3.10~1
4.100~1
ここまでで,「前の数」が「-1」という抽象的な符号に結びついていきます
5.1~4について+2,-2で数える。
偶数と奇数の感覚をつかみます。2の段の九九の先取りです。
6.同様に+5,-5で数える
7.同様に+10,-10で数える
8.百円,千円,一万円などのお金に興味があれば,それぞれの単位での数を数える。